言葉の壁。関西人って、どこでも苦労する。特に女性はそうだと思う。

「大阪出身なんです」
と言うと、びっくりされる私。
遠州弁は使えないけど、通常の会話で関西弁は出ない。

関西弁を抜くのは、大変な努力です。

イントネーションや言葉使いが違うだけじゃない。
関西弁は、ニュアンスがむずかしい言葉。
それを修得してしまうと、それがないと非常に困る。


関西の言葉と言うのは、きれいに言うと、奥行きがある。
汚く言うと、裏がある。
とにもかくにも、含みがあるのだ。


「ぶぶつけ(お茶漬け)でも、食べて行っておくれやす」
と京都で言われたら、黙って帰れってこと。
お茶漬けなんて出てくると思っちゃいけない。

もちろん、これは極端な例えで、
こんなやりとりは存在しない。(はずだ)

ところが、こちら(浜松)の言葉には、含みがない。
ストレートなのだ。
そのまんま。


浜松に来た頃は、標準語は敬語しか使えなかった。
敬語は、仕事で使っていたから、なんとかなった。

敬語しか使えない私は、こちらで使う言葉はたいてい敬語だった。
知らない場所、知らない方々、別にそれで不自由は無い。
…と思っていた。

でも、仕事で知り合った女性に言われた。
「そういうのって、慇懃無礼って言うのよ」

周りは全員、以前からそこに所属している方々だし、それで良いと思っていたけど、
そこでは、トップに対して以外は、
年齢、業績に関わらず、いわゆる「ため口の遠州弁」でやりとりされていた。

気づいていました。少々、浮いていたことは。
私だけが、全ての人に敬語。


「関西人は、関西から出ると浮く」
と、良く聞くけれど、
ただ、言葉の違いだけじゃなくて、
言葉の奥に微妙なニュアンスをどうしても入れたくなってしまうからだと思う。

そのニュアンスがわかってもらえないと、
次は、もっとわかりやすくとか、
もっと過激にとか、
ようするにくどくなってしまう。
挙げ句、浮く。

これは、もう文化であり、習性でなんだから、どうしようもない。


言葉の壁は嫌と言うほど気づいていた。
仕事上、関西弁はよろしくないと言うこともわかっていた。
それをナチュラルにやり過ごせるのが、敬語。

で、ズボラな私には楽だったんです。敬語を使うのが。


大阪のおばちゃんは、ストレートで思ったことをズバズバ言うイメージがある。
でも、それは、きれいに言うとサービス精神なのだ。
言葉の裏に、
「ここまで言ったらおもしろいやろ?」
「ここからは、冗談やってわかってるやろ?」
のような。
おもしろかったら、少々のことは許されると思ってる。(いまだ、私も)


とにかく、字面だけでなく、関西弁にはその奥に何かがある。
言わなくても、わかってもらえるものとして、隠されているものが。
それで慣れてしまっていると、
却って、ストレートに表現することが難しい。

そこが、相容れないところなんだよね…
恐らく、永遠に。

 

自分の苦労話を、書いてみました。
最初は、仕事のネタにしようかと思ったんだけど、
地元批判すれすれかな…と。

 

 

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